先天的に強厚なものは長寿であって、先天的に薄弱なものは短命である。とは言え後天的によく注意して、心身の培養よろしきを得る者は、短命な者も長寿となり、長寿者はなお長寿するのである。
これに反して己の身に対して不注意であって、自身の身を断ち削ぐがごとき行為をする者は、先端的長寿と定まった者も短命となり、短命の者はなお短命になるのである。
それであるから先端的に長寿であるからといってそれを恃めればかえってその強健を失って、短命になるのである。
又先端的に薄弱であって後天的に弱い者でも決して失望すべきものではない。ただ慎を知れば、よく先天にもまた後天的な習慣にも打ち勝つ事ができる。
まず慎について言えば情志を慎んで淫らな事を思わなければ、心神を保つ事が出来る。寒暑を慎んでその適応する道を知れば、肺気を保つ事が出来る。
酒と女色とを慎むと、肝臓、腎臓を保つ事ができる。暴飲、暴食、間食を慎む者は脾、胃を保つ事ができる。
生を養うには楽しみをもって行うべきで、その楽しみとは善を行うよりほかに勝ったものはない。この善行の福でもって生を保って長生すべきである。
不老長生法は、慎を知り、善を行い、精を保つと言う三事をもって悦楽して暮らす事が主となっている。
薬品や滋養品を勧奨しておらぬ。ただ悦楽が最上の薬品であって、その楽しみの為真に願うのは善を行う事にあると説明している。