インド哲学-世界の考え-2

哲学は紀元前6-5世紀にギリシャで始まったとされるが、この頃インドや中国でも起こっている。そこでは「神話的思考」から「哲学的思考」への移行がある。
神話とは神々の行いや世界のはじまり、人間の誕生について語るものであり、世界の出来事を神の行いと結び付けて説明するのが神話的思考になる。インドでは「ウエーダー」や「プラーフマナ」に見られる。


これに対して哲学的思考は世界の背後に普遍的な原理があると考え、抽象的な概念と論理的な言葉によつて、世界を説明しようとするものである。
インドではそのような哲学的思考はいつ頃始まったか、インド最古の文献である「リグ、ウエーダー」は紀元前1200年頃に完成したと言われている。


10巻からなり、千余の詩篇の集大成である。その大部分は神々に捧げるものですが、その最後に位置する「ウパニシャッド」文献では、宇宙の原理や人間の本質への探求が見られ、インドにおける哲学的思考のはじまりと考えられる。時代は前6世紀と言われ、仏教やジャイナ教がおこり、古代インドが新しくかわる直前であつた。

ウパニシャッドの「チャーンドーギャ、ウパニシャッド」ではウエーダーを12年間学び、意気揚々と父親のもとに帰って来た息子に対し、ウッダーラカが言ったのが「おまえはそれである」という有名な言葉がある。

これはおまえはこの世の絶対者と同一であるという意味で、そこに神話から哲学的思考への移行を示すもので、インドにおける哲学のはじまりといわれる。

これは梵我一如(ぼんがいちにょ)と言い梵(プラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一である事を知る事により、永遠の幸せに到達しようとする思想で、ウエーダーの究極の悟りとされる。
現代の数学者は世界の全てを表す事が出来る数式を見つけるために格闘してきた。2500年前の古代のインドでは物理学は無かったが、世界の現象を一言で表す言葉を手に入れたいと考えた者がいたに違いない。


世界のさまざまな現象を神の仕業ととらえるのではなく、世界を動かす原理がある、普遍的な法則によって説明しようとする人が現れた時哲学が始まると考える。


東洋哲学ー世界の考えー1

インド哲学ー世界の考えー3