死についてのベストセラーの書がある。アメリカ、コネチカット州イエール大学で23年間死について講義し続けてできたシェリー、ケーガン先生だ。余命数年を宣告された学生が、命をかけて受けた伝説の講義と言われる。
この書を中心に死への考察を続けてみよう。ケーガン先生は宗教家でもなく、科学者でもなく哲学者である。
人間とは何か、単に肉体を動かす機械か、と問われると、そうでないと答えたい。
つまり人間は精巧な肉体を持つ物理的物体なのか、それとも肉体と精神を持つ二元的なものなのか、一元論は科学者が採用している。科学者や医師は人間を物体として考える、西洋医学は特にその傾向が強い。
物理学者にとって人間とは手の込んだ有形物に過ぎない。人間は恋をし、詩を書く、高等数学を解く驚くべき物体である。ありとあらゆる事が出来るにもかかわらず、ただの機械なのだ。
二元論と物理主義のどちらをとるかは重要な選択である。
ケーガン先生は二元論をとる。人間は肉体と精神を持った生き物であると考える。
但しそうは言っても精神、つまり非物質的、霊的な精神の存在を一口で説明するのは大変難しいと感じる。
魂の存在を立証するのは大変難しい。そうすると死んだ後生きるとの考え方は説得し難い。身体が死んだら消滅すると考えざるを得ない。
しかし西洋哲学の立場をとるケーガン先生は存在論に立って死を考えてみる。昨日のあなたの存在と今日のあなたの存在は同一ですか?違いますか?の疑問を投げかける。