慧海の説く不老長生とは、3つに分けられる。①世間的不老長生、②仙人的不老長生、③出世世間的不老長生である。
「世間的不老長生」では1)先祖からの業の力によって普通の生活をしていながら、長生きするもの。
世間には別に不老長生について深い注意を払わず、普通の生活をしながら、いつまでも若く壮健で、80歳、90歳、百歳の長寿を保つ人が都会より田舎に多い。
それは前世の業力にくわえ、周囲に新鮮な空気が満ちていたり、生活が単純である事等や自然に運動する事などの事情が、壮健を増進している。
同じ生活の人でも短命な人がいる。この原因は前世からの業の力によるものと考える。
2)因果と自由論の調和、
単に長生きしている人を見て、寿命は定まっていると思うのは運命論で、仏教では空にして、融通無碍に変化するものだから、因果必然論と自由意思論が円満に調和するものである。
天地の理法は因が果を生じ、果が因を生む、この考えでは短命の業を持つ人は、必ず短命になってしまう。しかし人間は自由意志を持っている。
仏教の哲理によれば、因果必然の原理は確然と行われながら、空なる我々の意思は自由自在に選ぶ種子を無限の種子を蔵する蔵識より得て、それを原因として、結果をあらわす。
こうして無限に相続していくのが、因果必然の法則である。
仮に短命の原因を持っていたとしても、その原因と結果が熟す以前は蔵識中には長命の種子を供えているのである。
従って空の一念を相続し、種子を養成し、不殺生、や功徳を積んだなら、短命の因は発育せず、長命の結果をもたらすこととなる。
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