新元号の令和が決まった内幕が報じられている。それによると新元号発表まで1ヶ月を切った3月上旬、80ほど集まって候補のなかから菅さんと安倍さんが20に絞ったとある。
しかし当時安倍さんの心にストーンと入る候補は無かったそうです。日本を代表する学者や著名人がひねり出した数々の案、例えば、天徳、元寛、久万、安宝、建化、吉祥、文平などを見ると、伝統的だが面白みの無い文字が並んでいる。
首相が心にストーンと落ちてくるものがないと言った点は同感でした。この点学者諸氏より首相のほうの感覚が現代にマッチしていると思いました。押し迫った3月に急遽万葉集や日本書紀の専門家に相談し、令和が出てきたそうです。
ここから感じましたのは、いくら大先生達が考えても、一定の枠から新しいものは出て来ない、むしろ功成し遂げた人に限つて、枠から出られない。期待されない場合の方が良いものか出てくる事例になりました。
今回お札が新しくなり、一万円札は渋沢栄一、五千円札は津田梅子、千円札は北里柴三郎と決まった様です。
これもまた学者先生か役人が考えたようだが、目まぐるしく変わるこの時代に、もちろん3人とも、立派な人ではあるが、旧態で当たり前の選択で、心にストーンと落ちて来ない。
例えば黒澤明、湯川秀樹、双葉山、手塚治虫、司馬遼太郎などが出てくると、お札にも活気が出てくると思う。
キャッシュレス時代、お札が不要と言われている風潮を盛り返すチャンスを失ったことは残念な事です。