生化学的な幸福の追求に没頭すべきかは分からない。それは幸福を快感に求めることになるからだ。これには二つの解決策がある。
西洋的と東洋的とも言えるのか、1つは快感の果てしない流れを提供し、快感が途絶えない製品や治療法を開発すること。
もう一つは仏陀が推奨する快感への渇望を減らし、凡ゆる欲望を無くすことを追求する方法である。
今のところ資本主義では幸福は快楽であり、そこに科学研究と経済活動が向けられ、毎年新しい鎮痛剤や新しい味のアイスクリームや病み付きになるゲームで一瞬でも退屈しないで済む。
もし私達が自分の体から死と苦痛を追い出すことが出来たら体を意のままに作り変えたり、知能や臓器を操作できるだろう。
これまでは力の増大は外界の道具のアップグレードだつたが、将来は素晴らしい体力や魅惑的な魅力、素晴らしい知恵をお金で買ったり、道具と一体化させるかもしれない。
40億年をかけてアメーバから爬虫類、哺乳類、人類と進化した。しかし今の人類が終着点であると言う理由は無い。