人生の後半期に重大な転機を迎えたのは旧500円札の顔、新渡戸稲造だ。かれは明治33年に39歳の時カリフォルニアで 「 武士道」を執筆した。稲造はアメリカの教育関係社との会話の中で、日本の宗教的欠落に突き当たり、外国人の妻にも分かる様に、日本独特の四季の移り変わりに影響された結果、独特の精神的土壌から生まれた武士の生活態度や信条を説明した。
この本はアメリカで大ヒットし、フランス語やドイツ語でも翻訳された。早い時期に日本の本質を世界に広める役割を果たした。ルーズベルト、アメリカ26代大統領が「武士道」に感動し、自分が体験したカウボーイ精神との共通点を感じ、兵学校や士官学校に推薦し、自分と数十冊求め、子弟に配ったそうだ。この本が大ヒットしたのは新渡戸稲造が直接英語で書いた事が大きく影響していると思われる。
かれは盛岡(現在の岩手県)藩士の三男に生まれた。経済的に恵まれていたようで、父親が持参した多くの舶来品を通じて西洋に憧れ、近所の医者から英語を学ぶ。そのご東京英語学校(後の東京大学)、札幌農学校(後の北海道大学)を経て、私費でアメリカへ留学、現地で結婚したバリバリの国際人であった。
当時海外でも知名度は抜群だつたが、59歳の時推薦を受けて「国際連盟事務次長」になる。国際連盟のナンバー2となった稲造はジュネーブで執務を開始し、人種差別の撤廃に尽力した。
交友関係は世界の政治家やアインシュタインやキューリ夫人などの科学者や哲学者のベルグソンなど顔の広さは尋常ではなかった。72歳でカナダで死ぬまで、軍国主義や排日運動に反対し、終始平和の為に奔走した。
女優樹木希林ー100歳時代ー50
伊能図ー100歳時代ー48
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