人間は三か月で全体の細胞が入れ替わり、半年には骨なども取り替えられていると聞く。そうすると肉体的には昨日のあなたと今日のあなたは違う事になる。しかし同じ人であるのは変わらない。
最近の医学では手足も義足で取り替えられ、内蔵も取り替えられる可能性がある。従って脳以外が取り変わっても同じ人物になる。
では脳はどうか、20年前のあなたの脳と今日のあなたの脳は同じではない。そうなると同じ信条や記憶や欲望や目標を持つなら同じ人物と見る。これは「人格の同一性」となる。
身体説は一卵性双生児は全く同じ身体で生まれてくるので、説明しにくい。同じDNAなので、何をもって区別したらいいか分からなくてなる。
身体説を突き詰めると、未来の私は全身をもっていなくてもよい。現在の医療では手や足を取り替えてしまう。従って私の脳を持っているものが私となる。脳がなくなると消滅する事になる。
物理主義者が受け入れる人格説をみてみよう。信念や記憶は一つ残らず同じである必要はない。人は常に記憶を失ったり、信念がぐらついたりしている。
人格は全体としてゆっくり発展していく。
人格説では同一人物であるか否かは、同じ人格をもつていれば、同一とも言えるのだが、少年の時の人格と老人になったときの人格は何をもって同一と考えるかは一筋縄ではいかない。