生涯現役を貫いた一番バッタは日本のみならず、海外でも高い評価を受けている偉大な浮世絵師、葛飾北斎である。その人気は現代でも衰えず1999年「LIFE」が特集したこの千年で最も重要な功績を残した世界の人物100人にに日本人で唯一名を連ねている。
6歳から絵に興味を持ち19歳で浮世絵師、勝川春章に弟子入りした。それ以降は人生の全てを絵に捧げた。かれの辞書には引退の文字は見当たらない。自然界の全てを対象に日本画から西洋画まで様々な技法を学び、その作品は変化に富んだものとなっている。
一方実生活は無頓着でいつも木綿の藍染を引っ掛けており、羽織などは着たい事がない。ご飯は殆ど店屋物で、酒も飲まずタバコも吸わずたまの楽しみは大福餅を食べることだった。お金には縁が無かったようで、金に困って雅号を売ってメシのタネにした。その為雅号を2 0回以上変えている。
北斎の作品は1867年のパリ万博博覧会をきっかけに西欧でも知れ渡りジャパンブームを引き起こした。ゴッホやドガは北斎の作風に影響を受けた。また工芸家のガレや音楽家のドビュッシーなども北斎の版画に発想を得ている。
北斎が63-71歳の時発表した「富嶽36景」は江戸でも一大旋風を巻き起こした。つまり北斎がピークを迎えたのは晩年に入ってからと言える。北斎は73歳で目を輝かせながら夢を語った、「73歳でようやく少しは描けるようになつた。それ故に80歳になれば腕はさらに上達し、90歳ともなれば奥義を極め、百歳の時は神業になるだろう」 と。但し奥義を極めた90歳で亡くなったが、現代の平均寿命をはるかに超える大往生であった。
女優樹木希林ー100歳時代ー50