長く生きた生物は傷だらけのDNA になっている場合があり、傷ある生殖細胞を使って子孫を作ると、傷がたまっていき、最終的には絶滅する可能性が高くなります。
これを防ぐのは、ある程度で古い個体が死ぬ事で回避しているとおもわれます。数十年生きるには問題はありませんが、数百年になると、問題が起きます。
長寿への手がかりとして最近2つの研究がありました。一つは細胞分裂の回数と関係しているテロメアです。テロメアの長さで、寿命が決まるのではないかと考えましたが、残念ながらマウスのテロメアが人のテロメアより長い事が分かってきました。
もう一つは飢餓状態になると働くと言われる「長寿遺伝子(サーチュイン)」です。食事を少なくとった猿が普通にとった猿より若く元気になるのは長寿遺伝子が働くからと言われています。まだまだ不明な事が多いですが、研究の成果によっては寿命が延びる時代が来るかもしれません。
「健康について」カテゴリーアーカイブ
ホモ•生命と遺伝子-11
生物の歴史では生命の誕生から20億年間は大腸菌やビフィズス菌などの細菌(バクテリア)が繁栄し元の細菌と同じものを栄養がある限り分裂を繰り返す事が出来、つまり不死であります。
バクテリアは遺伝子を一つずつ持つが我々の遺伝子は二重螺旋と言って遺伝子を2つずつ持っています、生命誕生から20億年経ったころ、自死の生物があらわれました、それは二重遺伝子を持つ我々の先祖ですが、そのほとんどは雄と雌が協力して子孫を増やします。
遺伝子2セットずつが持ち寄り、組み合わさって二重遺伝子が出来ると雄と雌が合わさってバリエーションが多くなり、色々な環境に適応する事が出来ていく。
しかし二重の内一つが異常でも片方が正常なら、生きていけるが、異常が子孫に引き継がれていくと、種の絶滅の危険性があります、そこは生物の死によって立ち切られ、 健康なものが生き残っていく。
DNAに傷をつけるパターンは「紫外線」と「活性酸素」「環境の変化」があります。DNA はA(アデニン),T(チミン),G(グアニン),C(シトシン)の四種類の組み合わせで成り立っていますが、コビーをする時、「紫外線」その他の影響で、規則通りコビーされず、欠落したり、違う要素が入ったりするコビーミスがおこります。
常に生命活動をしている限りDNA のコピーが行われ、一日当たり数千個の傷がつくと言われます。ただし傷ついたDNAを修復する仕組みがあります。「ポリメラーゼ」という酵素が修復します。複製途中で傷があるとコピーを一度止めて、DNAポリミラーゼ救援体が出現して修正する。しかし問題は全てを完全に修正出来るわけではなく少しずつ残る事です。
ホモ・細胞の死ー10
ホモ•細胞の死-10
植物状態になった場合があるが、人は大脳皮質と視床が機能を失うと、意識が保たれなく、昏睡状態になります。植物状態では、呼吸など生命維持に必要な脳幹が機能しています。
植物状態とは目を開いていても意思疎通が出来ない、排泄をコントロール出来ない状態を言う。しかし死の三要素は無く、意識が戻ることもありま
閉じ込め症候群とは全身が麻痺したりで意思を伝えられなくなった場合では、一見植物状態と見分けがつきませんが、脳への血管が詰まり脳幹の一部(橋)が痛むことが主でおこる、
しかし意識はあり、周囲の様子を目や耳で把握出来、まばたきや眼球を動かして、意思を伝えることが出来る。その点が健康な人に近いと言える。
生物の生死には細胞の生死が関係してきます。人間は一日に3000億から4000億個の細胞が死んでいる、そして同数の細胞が生まれている。
又人の細胞は死んで生まれ変わる細胞と、一生変わらず働き続ける細胞がある。脳の神経細胞や心臓の心筋細胞は死ぬまで働き続ける。その他の細胞は50回から60回分裂をする、
細胞分裂の寿命は回数で決まると言う。この細胞分裂の回数を決めるのがDNAの末端にあるテロメアです。テロメアとは細胞分裂時にDNA に傷をつけガン化しない様に保護する為に細胞の両端に5000から20000個の塩基が付いているが、分裂のたびに減少していき、5000個程度になると分裂しなくなり、老化の原因となります。
ここで不思議なことが分かりました、それはガン細胞はいくらでも分裂して、病気を起こすのですが、その時テロメラーゼと言う酵素があり、それはテロメアを増やす働きがあり、つまり細胞を不死化する働きがある事が分かったのです。
ホモ・生命と遺伝子ー11
ホモ・死とはー9
葛飾北斎-100歳時代-51
生涯現役を貫いた一番バッタは日本のみならず、海外でも高い評価を受けている偉大な浮世絵師、葛飾北斎である。その人気は現代でも衰えず1999年「LIFE」が特集したこの千年で最も重要な功績を残した世界の人物100人にに日本人で唯一名を連ねている。
6歳から絵に興味を持ち19歳で浮世絵師、勝川春章に弟子入りした。それ以降は人生の全てを絵に捧げた。かれの辞書には引退の文字は見当たらない。自然界の全てを対象に日本画から西洋画まで様々な技法を学び、その作品は変化に富んだものとなっている。
一方実生活は無頓着でいつも木綿の藍染を引っ掛けており、羽織などは着たい事がない。ご飯は殆ど店屋物で、酒も飲まずタバコも吸わずたまの楽しみは大福餅を食べることだった。お金には縁が無かったようで、金に困って雅号を売ってメシのタネにした。その為雅号を2 0回以上変えている。
北斎の作品は1867年のパリ万博博覧会をきっかけに西欧でも知れ渡りジャパンブームを引き起こした。ゴッホやドガは北斎の作風に影響を受けた。また工芸家のガレや音楽家のドビュッシーなども北斎の版画に発想を得ている。
北斎が63-71歳の時発表した「富嶽36景」は江戸でも一大旋風を巻き起こした。つまり北斎がピークを迎えたのは晩年に入ってからと言える。北斎は73歳で目を輝かせながら夢を語った、「73歳でようやく少しは描けるようになつた。それ故に80歳になれば腕はさらに上達し、90歳ともなれば奥義を極め、百歳の時は神業になるだろう」 と。但し奥義を極めた90歳で亡くなったが、現代の平均寿命をはるかに超える大往生であった。
女優樹木希林ー100歳時代ー50
女優樹木希林-100歳時代-50
新渡戸稲造-100 歳時代-49
人生の後半期に重大な転機を迎えたのは旧500円札の顔、新渡戸稲造だ。かれは明治33年に39歳の時カリフォルニアで 「 武士道」を執筆した。稲造はアメリカの教育関係社との会話の中で、日本の宗教的欠落に突き当たり、外国人の妻にも分かる様に、日本独特の四季の移り変わりに影響された結果、独特の精神的土壌から生まれた武士の生活態度や信条を説明した。
この本はアメリカで大ヒットし、フランス語やドイツ語でも翻訳された。早い時期に日本の本質を世界に広める役割を果たした。ルーズベルト、アメリカ26代大統領が「武士道」に感動し、自分が体験したカウボーイ精神との共通点を感じ、兵学校や士官学校に推薦し、自分と数十冊求め、子弟に配ったそうだ。この本が大ヒットしたのは新渡戸稲造が直接英語で書いた事が大きく影響していると思われる。
かれは盛岡(現在の岩手県)藩士の三男に生まれた。経済的に恵まれていたようで、父親が持参した多くの舶来品を通じて西洋に憧れ、近所の医者から英語を学ぶ。そのご東京英語学校(後の東京大学)、札幌農学校(後の北海道大学)を経て、私費でアメリカへ留学、現地で結婚したバリバリの国際人であった。
当時海外でも知名度は抜群だつたが、59歳の時推薦を受けて「国際連盟事務次長」になる。国際連盟のナンバー2となった稲造はジュネーブで執務を開始し、人種差別の撤廃に尽力した。
女優樹木希林ー100歳時代ー50
伊能図ー100歳時代ー48
伊能図-100歳時代-48
3番手に登場する後半生に活躍した人は伊能忠敬さんである。17年をかけて、日本中を歩いて測定し、現代でも参考にされる程正確な日本地図を作成したのは伊能忠敬の56歳からの挑戦だつた。
18歳で酒屋などの商売をしている伊能家(現在の千葉県)に婿入りし、上手くいかなくなった事業を立て直し、50歳で息子に家督を譲って隠居生活に入った。
翌年江戸に出て,新進の天文学者高橋至時に入門し,「天文」と「暦学」の勉強をはじめた。早速自宅に観測所を作り、太陽や恒星の観測をはじめた。
毎日星の動きを観測する内に、師匠の至時が「太陽や月の動きを正確に予測するには地球の大きさを正確に知る必要がある」と考えている事を知り、浅草から深川まで約4.2キロを歩測して、地球のサイズを計算した。この時至時は「こんなに近い距離を測って、地球のサイズがわかるの?」と相手にされなかった。
せめて蝦夷地までは観測しないと信頼する結果は出ないのではないかと考えてようで、忠敬は全国測定行脚を決意する。1800年に幕府に測量の申請をだし、認められて第一次蝦夷地観測を開始した。
弟子6名と共に180日かけて歩いて測量、歩幅は69センチメートルで歩く訓練をしていた。根室まで3200キロメートルあった。毎日歩いた歩数を数えて、夜は方向を三角関数を使って確認する一方星の位置から観測結果が正しいかを確認する毎日の粘り強い繰り返しであつた。この間の詳細は井上ひさしの「4万歩の男」に詳しい。
その結果を師匠に提出、この実績が認められ翌年伊豆半島から下北半島まで測量を行った。次いで日本海側の今の山形県、秋田県、新潟県を毎年のように測量した。
幕府は当時正確な地図が欲しかった事もあり、しかもこの地図の正確さに驚いた幕府は全国に「忠敬が測量に行くから手助けするように」との連絡をまわして後押しした為測量は順調に進んだ。1804年に初めて測量結果を地図として、幕府に提出した。1818年忠敬が74歳で無くなるまで続けられた。
3年後に「大日本沿海奥地地図」としてまとめられ美しく正確な手書きの彩色地図は「伊能図」とも呼ばれ、近代行政地図を作る際にも参考とされた。今も海外からその精度を称賛されている。
新渡戸稲造ー100歳ー49
次郎長の後半生ー100歳時代ー47
次郎長の後半生-100歳時代-47
後半生の二番手に登場するのは、意外に街道一の大親分と言われた清水の次郎長である。江戸末期に清水一家を形成し、その生き様は講談や映画に取り上げられて、大衆のヒーローと愛されている。しかし次郎長は後半生をどう生きたかはあまり知られていない。意外にも心機一転、荒れた生活をやめ、静岡の発展に尽くしていた。
1868年明治に突入する直前、次郎長が49歳の時、清水に停泊していた、旧政府軍が新政府に発見され、船員全員が殺害される事件が起こった。殺された船員は逆賊としてさらされたが、見るに見かねた次郎長が死体を手厚く埋葬した。
新政府から咎められたが、「死者に賊軍も官軍もない」と言ったと言う。この義侠心に感心したのが、山岡鉄舟だった。
(山岡鉄舟とは思想、剣、禅、書の達人、江戸城無血開城の時勝海舟に先立って、単身西郷と会って無血開城を準備した、当時勝海舟と高橋泥舟と「幕末の三舟」と言われた人物)
次郎長と鉄舟は意気投合した。56歳の次郎長は清水に到着すると、鉄舟の勧めで富士の裾野の開墾事業を始めている。現在この場所は次郎長町とよばれている。
また清水の発展の為お茶の販路拡大の為港の整備と蒸気船の必要性を説き、その尽力で清水は貿易港として発展の後押しをした。若い海軍候補生達は清水に寄港して次郎長の武勇伝を聞くのが楽しみだったそうだ。次郎長の晩年は若い時とは違った格好良さを貫いた人生であった。
伊能図ー100歳時代ー48
後半生に転機ー100歳時代ー46
後半生に転機-100歳時代-46
1、鑑真:奈良時代に日本に来た唐の僧侶、奈良時代既に仏教が伝わっていた、当時坊さんになるには認可制だつたが、許可を得た坊さんは飲む買うなどで問題が多かった。聖武天皇はなんとか坊さんの風紀を正す為には唐の高僧を招こうとなり、栄叡と普照を唐に派遣した。
しかし日本へ渡ろうと言う僧侶は見つからず9年の歳月がすぎました、ある時戒律の第一人者がいると聞いて揚州へ行き、大明寺の鑑真をたずねた。鑑真は56歳、すでに名僧として広く名を知られていた。弟子達が4万人に上ったと言います。
説得の結果鑑真と弟子21人が日本へ行くことになり、日本行きを計画しました、しかし当時は海外渡航は禁じられており、他の弟子の密告により逮捕され、栄叡と普照は4ヶ月に渡る獄中生活の末、日本に帰国することを条件にとりあえず釈放されました。当時の航海技術では日本海を渡るのは大変危険であった。
鑑真の日本渡航の試みは6回されているが、3回は密告で失敗している。61歳の時の5回目では無事出航できたが、嵐に巻き込まれて半年の漂流の末海南島に着いた、その時栄叡が他界、鑑真は病から視力を失った。
しかし鑑真の熱意は失われず、753年、66歳の時6回目の挑戦の結果日本への渡航を果たす。志してから11年経っていた。鑑真は坊さんが「女遊びを禁じる」「酒や賭け事はいけない」「肉を食べてはだめ」などの戒律をはじめて定めることによって、正しい仏教を日本に定着することが出来た。
次郎長の後半生ー100歳時代ー47
匂いと脳-100歳時代-45
その1、ネガティブ、
不快、不満、不安、不信の気持ち特に不安が一番いけない。これらの感情が脳に生まれると負のスパイラルがうまれる。そして無理、無駄、無茶、無謀は人生に諦めた心境から戦う気力が無くなって思考停止になり自暴自棄になる。
ネガティフ状態になっていると思ったら、3つのあを意識する、諦めない、
あわてない、
焦らない、
ダメかと思った時は落ち着いて周りを見回して、自分のペースを取り戻す。
その2、欲が強い方がボケない、
欲のない人は脳内に、平和ボケを醸し出し、脳は働く必要がなくなるのでボケやすい、次々にやりたい事があると脳は休んでられないので、ボケる暇がない。認知症にならない為には欲が必要だ。
勝負を避けて生きる人と勝ち負けにこだわる人を比べると、勝ち負けにこだわる人の方が原始的な生きるか死ぬかの闘争本能が刺激され脳が活性化されます。勝負ごとは怒り、興奮、気分の高揚等古い根源的な震源地である扁桃体(アーモンド型をした神経細胞の集まりで、好き、嫌い、恐怖、不安といった原始的な情動を支配ふる)を刺激します。
その3,脳は鍛えたほうが強くなる。
楽しいことをやれば脳も喜ぶ、ハッピーになった脳は楽しい思い出や空想でフル回転します。東京脳研究センターの天野恵市先生の説では嗅覚を働かすとボケないと言う。
動物は敵の接近かエサの臭いかをすぐに嗅ぎ分けて行動してきた。人間にもその能力は残っている。いち早く行動する人を 「鼻が利く」と言う。匂いは鼻の上部にある「臭上皮」に匂いの分子が溶け込むとその上にある「嗅神経」がそれをとらえる。
嗅神経の種類が500から1000種あり、全体で2000万から5000万個もある。(犬は1億から2億個ある)嗅神経にとらえられた香りは電気信号にかわり匂いは種類別に分けられて「嗅球」に入り、次に脳の底の「梨状皮質」(りじようひしつ)に送られる。ここが匂いを認識する嗅覚野である。
この匂いに「扁桃体」で感情が加えられ、「海馬」(記憶や空間に関するできごとを記憶する)で記憶される。嗅神経や扁桃体や海馬はすぐ近くにあり一体として記憶される。
脳が喜ぶいい香りをかぐと脳が喜び、ボケ防止につながります。従って「好きな香りを楽しむ習慣」を強く勧めています。脳が萎縮をはじめる極めて初期段階で匂いを感じなくなる、つまり嗅皮質に萎縮が起こる事がわかってます。
匂いが分からなくなった時は要注意です。バラの香りは認知症を予防、緩和する効果が期待出来ます。最近は日本人でも香水を楽しむ人が増えています。
後半生に転機―100歳時代ー46
認知症3-100歳時代ー44
認知症3-100歳時代-44
認知症は言い換えると「後天的な原因によって正常に発達していた知的能力が低下して、生活に支障が出ている状態」 を言う。日本人の5割が「アルツハイマー病」である。
アルツハイマー病は脳内の中枢神経にある特定の細胞が変化したり、消失する為に起こる神経変性疾患のひとつ、日本人の患者数は100万人、85歳以上の5人に一人で、女性のほうが多い。アルツハイマー病患者数の脳は進行すると海馬の萎縮が目立ってくる。
脳の萎縮は誰の身にもおこることで、30代から少しずつのの萎縮がはじまります。脳の神経は140億個あり、健康な人でも1日に約10万個ずつ減少しています。でも個人差があり、なかなか減らない人も、どんどん減っていく人人もあり、さらに減る場所により
減ってもダメージを受けない人にもいます。
アルツハイマー病患者の脳を調べると、神経細胞と神経細胞の間に老人斑と呼ばれる茶色いシミが多くみられる。これはβアミロイドと言うタンパク質を主としたもので神経細胞に対して毒性を持つ。老人斑によって神経細胞が破壊され、脳の情報伝達が上手くいかなくなり、記憶障害が発生すると考えられていた。
しかし近年解明されたのは、βアミロイドが老人斑を作るより前に神経細胞のシナプスに攻撃をして、神経細胞の効率を下げる為記憶力障害がひきおこされると言うもので、βアミロイドが単体で情報伝達を妨害する事を突き止めたもので、未だ本格的な治療法が無いアルツハイマー病の新楽開発に繋がるとの期待がされている。
匂いと脳ー100歳時代ー45
認知症2-100歳時代ー43
認知症2-100歳時代-43
認知症は人間の人間らしさを作っている最も高度な機能を失う老化現象、又は病気と言われるので、健康寿命を目指すには避けて通れない重大なテーマである。
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2018年9月の時点で認知症の決定的な治療法は開発出来ていません。進行スピードを鈍らせたりする薬はありますが、認知症を劇的に直す薬はありません。
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しかし実際には本当に大変なのは介護する家族だと言います。徘徊、奇声、トイレの失敗などで家族はクタクタになり期限が無いだけに絶望感が生まれます。
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東京脳神経センターの天野恵市先生は認知症にならない戦略が必要という。認知症とは「脳の病気のせいで頭がボケてしまった状態」の事です。詳しくは認知症と言う病気があるわけではなく、記憶、思考、見当識、理解、計算、学習、言語、判断等の高次脳機能の障害からなる症候群となります。
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認知症3-100歳時代ー44
認知症ー100歳ー42
認知症-100歳-42
大脳は前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉に分かれているが、高いレベルの精神的な働きをしている連合野と言う部分がある。
認知症は脳の前方連合野の機能低下からはじまると言う。前方連合野には次のような働きがあります。
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①顔や声から人の気持ちを推測する。
②物事を覚える。
③目標達成にがんばる。
⑥一つの事に集中する。
前方連合野が衰えると「自発的行動の低下」「計画性の低下」「意欲の低下」が起こりはじめる。
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買い物に行った時、買うものを一部忘れた事が起こっても心配はない、買い物に行った事を忘れてしまうと、「記憶障害」で認知症を疑うことになる。また今の時間や居る場所を認識できなくなったら「見当識障害」で認知症を疑わねばならない。
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連合野とは何かが集まっているのではなく、種々な情報を連合したり統合する役割を持ち、環境によって作られていき、日本人なら日本語に対応した発達をしていく、脳の最高中枢と言われている。
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ネコは大脳の中で3%,チンパンジーで17%を占めておるが、人間は30% 近くを占めている。思考、学習、推論、計画、注意、意欲、制御、情操、創造などと深い関わりがある。
認知症2-100歳時代ー43
ピンピンコロリー100歳時代ー41
ピンピンコロリ-100歳時代-41
長寿時代というが、長寿だけではいけない、健康長寿でなければならない。人生の終末に寝たきりになる人が多いが、死ぬまで健康でいたい、ピンピンコロリになりたい、つまり死ぬ直前までピンピンと元気で、最後にコロリと死にたい。
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「寝たきり」 とは入浴、衣服の着脱、排便、食事、歩行が自分ひとりでは出来ず、寝たままの状態が6ケ月以上続いている人を言う。
65歳以上の要介護の患者が「寝たきり」になった直接の原因は
⓹関節疾患(7%)の順です。
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一位の脳卒中には脳の血管が破れる脳出血と脳の血管が詰まる脳梗塞があります。脳の領域が破壊されると、全身不随や半身不随になり、寝たきりになってしまいます。
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日本骨粗鬆症学会の調査によれば、大腿骨の脚の付け根に近い大腿骨を骨折した患者さんの2割が寝たきりになってしまいます。この10年間で1.6番に増えている。特に女性に多い。
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また骨折は治ったのにその間に筋力が落ちて寝たきりになる場合もよくあります。それは動きが減る事による「筋力の萎縮」、関節周辺の組織が固くなり「関節が動かなくなる」、動きが減る事により骨への刺激が低下し「骨量の減少」です。
骨折や捻挫の場合は出来るだけ早くギブスを外し、リハビリを行うのが良いでしょう。
認知症ー100歳時代ー42
タイムトラベル2ー100歳時代ー40
タイムトラベル-100歳-39
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1895年にイギリスのH.G.ウエルズが書いた小説「タイムマシン」は時間を自由に旅する話で無数の作家が繰り返しそのテーマを使ってきた。
アイザック、ニュートンが時間について「数学的な時間は、外部のなにものの影響も受けず一様に流れる」と定義した。科学者達はその後200年間もこの考えを受け入れてきた。人がどこにいても等しく流れる事は誰もが疑問の余地が無い。
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これは世間の常識である。にもかかわらず、これが全く違うと言い出した人がいる。アルベルト、アインシュタインである。1905年に時間と空間に関するニュートンの考えを完全に否定して、過去、現在、未来の分け方が無意味である事を主張し、タイムトラベルの道が敷かれた。その後100年経ったが、科学者のほとんどが受け入れている。
つまり時間は早く動くことによって伸ばしたり縮めたり出来るという。1971年に物理学者のハーフエルとキーティングは非常に精密な原子時計を飛行機に積み、世界一周をさせて、地上に置いた同一の時計と比較した。
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時間は飛行機の中のほうが地上の時計より明らかに59ナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)の遅れで、アインシュタインの理論値とぴったり一致した。
時間が固定化したものでは無いと言う、天才物理学者が言い出した事が100歳寿命の時代を目指す我々の世代に影響を与えるものかどうかまだ分からないが、残り時間を意識しながら生きる我々には、大変興味ある理論である。
タイムトラベル2-100歳ー40
天才脳を追えー100歳時代ー38
天才脳を追え-100歳時代-38
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側頭葉は聞いたり話したりした言葉や書いた言葉を理解したり形や顔の認知を行う。
後頭葉は視覚野があり、視覚や色彩の認識をする。
前頭葉は全体の30%を占め最も大きい。最高中枢といわれ、人間らしさが集中している、その働きは思考、学習、注意、意欲、創造、推論等に関わっている。
先日NHKで「アインシュタインの天才脳を追え」と言う番組がありました、この話題で印象的なのは前頭葉と頭頂葉の話です。
アインシュタインがこの脳でどんな事を考えたか、右脳の大きい頭頂部上部と左脳の大きい頭頂部下部でどんな考え方にたどり着いたか、
アインシュタインは空間と時間について画期的な考えを提供した、私的推論では右脳で空間認識を左脳で空間と時間の認識をしたのではないだろうか、
さらにもう一つは前頭葉で一般人は前頭葉の中が三つに分かれているが、アインシュタインの脳はもう一つあり四つにわかれていた。前頭葉は全ての情報を統合して、推論し創造するとすれば、最後は人より優れた前頭葉で結論を創造したのではないかと考えました。
タイムトラベルー100歳時代ー39
男と定年ー100歳時代ー37