さかのぼれば、紀元前430年にはアテネで疫病が発生。人口の3分の2が死滅したという。腺ペストかエボラウイルスによるものだったと見られている。ギリシャ文明もローマ文明も、疫病によって土台が揺らぎ、崩壊に向かった。
ヨーロッパで猛威を振るったペストは1347年に地中海に停泊した大型帆船から積荷に紛れて上陸したネズミにについたノミによる病原菌からヨーロッパを襲ったペスト(黒死病)はヨーロッパの人口の3分の1が無くなった。
しかしその後文化の変革が起こりルネッサンスとなって中世から近代社会へのへ変わって来た。
皇帝アウレリウス・アントニヌス(121~180)の時、疫病は165年から167年にかけてメソポタミアからローマに到達したとされている。 過去には何度かパンデミックに襲われたが、大きくは3回ある。
①541年からエジプトから地中海、東ローマ帝国は皇帝ユスティニアヌスも疫病に感染し、人口の半分を失った、発生から60年間流行した。
②1331年に中央アジアから中国、地中海に広まった。ネズミとノミにより発熱、黒紫の斑点がでるペストで黒死病とも言われた。中国やモンゴル起源説があるが、河北では人口の9割が死んだとの説もある。
ジンギスカンが中央アジアを征服した為、広まったとの説もある。原因が分からず、魔女やユダヤ人のためとして迫害が起こった。 14世紀には世界的な流行で1億人が死亡したといわれています。
「黒死病」と呼ばれて恐れられました。人口の3分の1が亡くなった欧州では、生や死に対する価値観が揺らぎ、封建社会崩壊の一因になりました。
そして新たな学問や芸術がルネッサンスを生み、教会の権威も失墜してその後の宗教改革につながったといわれています。
③1855年中国を起源としたペストが世界に広まった。雲南省の線ペストだ。ユベルト、コッホに師事した北里柴三郎香港で線ペストの病原菌を共同発見した。そして抗血清による治療法が確立した。
特に1918年のスペイン風邪は最低でも5,000万人以上が亡くなったと推定されているが、14世紀に蔓延したペストは世界全体でそれを遥かに上回る7,500万人から2億人の死者を出している。
当時8,000万人だったヨーロッパ人口のうち、実に60%が命を落とした。 ヨーロッパだけではない。北アフリカ、中東にまで達した。こうして高度に発達した交通網にのって、ペストは瞬く間に全ヨーロッパへと広がっていった。
このペストは人口が激減するだけでなく、ヨーロッパ世界の社会構造の変化を「加速」させることになる。
経済的にも大変革が起きました。中世の西ヨーロッパの農村は領主が支配する共同体で、農民みんなで働いて年貢の残りを分け合って生活していました。
ところが、ペストで労働力が不足したため、領主は農民の意欲を上げるために土地を貸し出します。農民はそれぞれが工夫して成果を上げるようになり、これが資本主義経済につながったのです。